こんにちは、刈屋です。
本日は、刈屋家の先代犬・メリーちゃんの話をさせていただきたいと思います。
私の一年先輩なので生まれた時からずっと一緒にいたワンコなのです。
柴犬のおんなのこ。おんなのこというよりは、精神的にもずっと大人でしたので
もうひとりのお姉ちゃん的な存在でした。
何故メリーという名前か、父がつけたので聞いたことがありました。
「12月生まれでクリスマスにちなんでメリーなの?」
首を振る父。
「刈屋の刈の字がカタカナのメとリに似てるからメリーなの?」
首を振る父。
そして開口一番
「別に意味はない」
・・・だそうです。
もともと姉が飼いたがって刈屋家に来て、姉が高校受験で忙しい時に
散歩とご飯のお世話権が私の手元にきたのです。
それまでも時々散歩には行っていたのですが、不真面目にも野球がしたいがために
散歩に連れ出しグラウンドの隅につなぎっぱなしだったこともありました。
当時刈屋は悪ガキでしたので、メリーにいたずらをしてよく母に怒られていました。
月日が流れ、徐々に足腰が弱くなり、耳も少しづつ遠くなり、運動神経が鈍くなり。。。
毎年毎年、「この夏もつか」「この冬もつか」と言われ続け18歳になりました。
最後の一年はいわゆる認知症。昼夜逆転や徘徊がありました。
私が高校2年生の時で、テスト勉強をしながら夜中ずっとメリーのところに通ったり
そばにいたことを思い出します。
18年分の話があるはずですが、ほとんどが晩年の老犬介護の話。
それくらい濃い晩年でした。
その話は何かの参考のためにいつか書ければと思います。
「死に方を忘れちゃったんじゃないの?」と冗談で言う時もあったのですが
ごく自然に、自然に、ついに息を引き取りました。
それが13年前の今日、11月20日。
メリーには「よかったね」と「ありがとう」と声をかけました。
家族には泣かないなんて冷たくない?なんて言われたりもしましたが。
一番近くで最後まで充分な生き様を見させてもらったから
悲しむのは失礼だろうし、沢山褒め称えてあげたかったんです。
犬の最期に当たって「こんな悲しい想いをするなら犬なんて飼わない方が良かった」
そう、思われる方も沢山おられると思います。
でも何かの本で「そういう考え方は亡くなった犬が一番悲しむよ。だって
死んだ自分のせいで愛する飼い主さんの元に新しい仲間がこれなくなってしまうんだから。
犬にとっては楽しい時間や出来事よりも死ぬことの方がずっとちっぽけ」
これを読んでいたのですぐにでも新しい犬を飼いたいと思っていました。
実際は亡くなってから飼う飼わないを考えられないフラットな期間が2年ありましたが。
そして3年後。といちと縁があって出会いました。
メリーにかける言葉は13年経った今でも同じ「ありがとう」なのです。
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